今日は有安杏果ちゃんのお誕生日!
おめでとうございます。
ということで杏果ちゃんがももクロではなくなってから3年ぐらい経過したみたいです、早い。
私は今後生きていくにあたって、杏果よりも好きになるアイドルは99.9%現れないと思っています。
杏果がももクロを辞めて、世間でよく言われる不仲説やらなんやら。
私自身杏果が卒業してから色々思うこともありましたが、3年も経ってみるとやっと冷静な目で見えるようになりまして。
杏果が卒業発表をしたのが22歳の頃でしたが、私もついに22歳になりました。
実際に同じ年齢になってみると分かる杏果の凄さを、また今日実感しています。
今日は当時杏果推しだった私から見た、”ももクロ緑の脱退”について語っていこうと思います。
関連記事:実は元コスノフです。中学生の頃コスプレしてももクロに会ってた話。
緑のサイリウムが消えたあの日。
ももクロがすごく良い波に乗っていたあの頃、5人のももクロがすごくきれいに成り立っていました。
ゴールデンヒストリー、BLASTを聴いたあたりから今まで以上にももクロが完成しつつあるように感じます。
当時は徐々にソロコンサートが盛んに行われ始めていました。
れにちゃんを筆頭に、杏果やあーりん。
その中でも一番歌が上手くて、楽器にも興味がある杏果は特にソロコンにこだわりを持っているように感じました。(みんなこだわってるのは前提)
この頃の杏果推し、モノノフ全体でかもしれませんが、
「ももクロ5人時代は終わらないだろうけど、もし誰かが辞めるとしたら1番は杏果だな~」と頭のどこかで感じていた気がします。
感は当たります。
2018.1.15
“有安杏果 ももクロ脱退・芸能界引退 発表”
あ、やばい、今これ書きながら泣きそう。
報道を見た瞬間、学校のトイレに駆け込んで、
ネットで知り合ったたくさんの杏果推しの友達と一人ずつ電話で叫んだ。
しかもラストライブを行うのはその週末。1月21日。
こんな急なことがあるのか。
これだけずっと応援し続けて、こんなにいきなりいなくなることがあっていいのか?
しかも「普通の女の子になりたい」という思い。
ファンにとっていちばん苦しい未来。
杏果の願いだから応援してあげたいのに、もう会えなくなってしまうという未来。
そしてももクロを全然知らない人達が適当に言う「やっぱ仲悪かったんかな~」という不仲説。
しんどい。
でもやっぱりこの時は自分に正直な気持ちを言うと「1週間後の引退はありえない。」ということ。
私は運良く週末のライブが当選したので、最後のライブに立ち会うことができた。
どの曲を聴いても全てが最後。
5色がステージの上に立って歌う姿を観ることができるのも、この日が最後。
こんなに楽しくないライブはもう一生来ないんだろう。
杏果がステージを後にするときに見せた最後の笑顔が本当に苦しかった。
「最後は笑顔で終わりたい」って言葉が世の中にはあるけど、私はなんかもう泣いててほしかった。
ファン思いの杏果ちゃんの性格を知って杏果推しになった私。
他の4人はしっかりしてるけど、「杏果ちゃんは応援してあげないといけない気がする!」と思ってファンになった私。(何様と思うかもしれないけど本当にそう)
最後もファンである私たちのために笑ってくれていたんだけど、「みんなの応援が無くても生きて行けるよ!」と言われた気分になった。
あー、私は杏果が居ないと生きて行けないのに。
人生をかけた失恋をした気分。
まだ20年ぐらいしか生きてないけど、初めて”一生出来ない”という一生をかけた出来事に出会った瞬間。
一生5色揃ったももいろクローバーZを観ることが出来なくなった日。
2018.1.21 緑のサイリウムが消えた。
人生をかけての失恋をした気がした
たった1人アイドルが辞めただけの話なんだけど、こんなに辛いものなのか。
実際私の青春はほぼももクロにかけていたといっていいほど、全てをももクロに捧げていた。
バイト代はももクロのため。
どれだけ忙しい飲食店でも、毎週のように「やっぱ日曜もシフト入ってくれない?」と店長からお願いされるような店でも
「ももクロのライブに行くんです」の一言で、「ももクロか!ならいってらっしゃい」と許してくれるほどももクロ認定されていて。
人見知りを直すきっかけになったのも、もっと楽しく毎日を過ごしたいと思えるようになったのも、全部全部ももクロのおかげであり、杏果ちゃんのおかげ。
ライブの次の日は学校に行ったけど、何の話も入ってこない(しっかり失恋w)
その日のバイトは仮病で休んだ。
次の日は学校もサボって美容院で久しぶりのショートにした(しっっかり失恋w)
ここで元気をくれたのはやっぱりももクロ。
4人になったももクロの生配信を見たんだけど、ももクロちゃんが永遠に下ネタで笑ってまして。
これは元気になる。
そして色んな情報を見ないためにSNSも消した(しっっっっかり失恋w)
想像よりも早く再会を果たす。
杏果推しは、みんな予想をしていたことがあって。
「SNSが好きな杏果ちゃんが、SNSまで止めるわけがない。絶対にいつか復活する。」
これはみんな口をそろえて言っていた。
そしてもう1つの予想。
「杏果は3月15日(誕生日)に色々起こすタイプだから、誕生日にSNS復活説あるだろう」
という予想。
見事、当たった。(笑)
となったときに「普通の女の子に戻りたい」と言って芸能界を休んで、1ヶ月ちょいで戻ってくるとか早いでしょ・・・なんて思ったりもしましたが。
”杏果の生存確認が出来る場所”が復活して、とにかく嬉しかった。
芸能界を辞めるとなると、その子が生きているかどうかも確認出来なくなるなんて思ってなくて。
ここで出てきた杏果の恋愛スクープ。
私は「ももクロ5人の誰でも良いから早く熱愛報道出たらいいのに!!」と思いながら応援し続けていた1人。
ただちょっとだけ、思っていたのと違って。
好きな人が好きになった人だから応援したいのに、何となく応援しづらくて。
こう思ってしまう自分も嫌だったけど、どうしても「もっと違う人いるんじゃない!?」って思ってしまう自分。
この報道が出たときに「あー、結婚のために辞めざるを得なかっただけなのかな、もっと円満な終わり方は無かったんかな」と思ってしまう。
とはいっても好きなので。
ももクロとしてではなく、一人のシンガーソングライターとして”有安杏果”が再始動した。
その記念すべき第一回目のライブ、行くしかない。
杏果がももクロではなくなって約1年後、
シンガーソングライター杏果ちゃんの初ライブに行ってきた。
「もう応援はいらないかな」と思った
行ってみたらまさかの前から2列目で、1年ぶりに見た杏果ちゃんはとにかく可愛くて痩せていて。
自分が知っている杏果じゃなかった。
緑の衣装を着ていない、シンガーソングライターだった。
ライブハウスで前の方は女性エリアだったんだけど、女性エリアはほぼ全員といっていいほど泣いていた。
ただそこに集まっているのはアイドル時代の杏果ちゃんを好きだったモノノフで。
ライブハウスでライブを観たことのない私たちにとって、ライブハウスでの盛り上がり方を知らない。
いつもはペンライトを持っているから手持ち無沙汰。ほぼみんな地蔵な光景。
と、同時に気づいてしまった「アイドルの杏果が好きだったんだ」と。
ある1曲で、杏果が本気のダンスをしてくれたんだけど、すごくすごく切なくて、「私はもっとダンスが観たい!」って思ってしまった。
楽器を持っているよりも、踊っている杏果ちゃんが観たい。
ただ、最初のMCのとき
「今回のプライベートのことがあったのに、ここに来てくれたってことは私を信じてくれとるってことで、本当にありがとうございます。」
で、杏果ちゃんが泣いていた。
すごい嬉しかった、別に泣いてほしい!ってわけじゃないんだけど。
ももクロの最後のライブですごく笑顔だったから、今までの杏果ちゃんじゃなくなっていた気がしていたので。
泣いてる姿を見て安心した。
私が杏果推しになった瞬間も、杏果が会場裏で泣いてるシーンを見た日からなので。
始まって30分の、まだ4曲目あたりで「もう観なくてもいいかもしれない。」と思った。
もうそこに居たのは自分の応援していた女の子ではなくて、別の道にしっかりと進んでいる女の子で。
「私が応援しなきゃ!」と思わせてくれる弱弱しさはなかった。
「もう応援しなくてもいいな」と思った。
と、思っていたら気づいたら私は倒れていて、周りのモノノフさんが支えてくれていた。
倒れた理由は酸欠だったんだけど、一旦ライブ会場から外に出た。
ちょっと安静にしたら体調も良くなったので、スタッフさんが「戻られますか?」と聞いてくれて。
まだライブを30分しか観てないのに「帰ります」と言って帰った。
もう観なくてもいいと思ったから。
なんかもう、
心の底から「私は推しきった!!!」と思えた。
この日を最後に、私は杏果ちゃんの情報を追うのを止めた。
(失恋でいう完全にふっきれた、みたいな日)
杏果ちゃんと同じ22歳になった私
推しを失う辛さを学んだので、私は今後推しが出来ない。
そして私がアイドルを好きな理由は可愛いからではなく”憧れるから”。
アイドル自体にも興味があったので、そもそもアイドルを頑張っている女の子にリスペクトがあって。
それと同時に”こんな風になりたい”と思って応援するから、年上が良い・・・
ってなると、22歳にもなるとそろそろ年上のアイドルが居なくなってきた。
そして人生的にもいろんな刺激をもらえる高校生当たりの時期に、ももクロというグループに色んな刺激をもらったわけで。
今後それ以上の刺激をもらえるグループは、自分の年齢も考えて絶対に現れない。
私は杏果以上に推しになる人は、もう絶対に現れない。
今、当時の杏果ちゃんと同じ22歳になってみて感じたことは、そんなにももクロを辞めるってことは大きなことでもなかったのかなということ。
ももクロ自体が人気で、人気上昇中の中辞めたから、私のように響く人もたくさんいたけど。
22歳で結婚を考えたときに仕事を辞めるなんて普通のことで。
一般的に考えてると普通の選択なのに、こんなにたくさんのファンが居た中、ちゃんと自分の意見を通して”辞める”という道に行けたのは、本当に強い。
自分が進みたい道を選んだ結果こうなったわけだけど、極論ファンの気持ちは生きていく上で関係ないわけだし。
22歳という歳で、国立競技場ですでにライブをしてたりソロコンを成し遂げてたり。
偉大過ぎる。
ただやっぱり、本当に応援している人が居て、ライブ会場で全力で名前を叫べるあの瞬間程楽しくて幸せな時間はないよなぁ、と思う。
ということで、杏果ちゃんお誕生日おめでとうございます。
密かにいつまでも応援してます。
関連記事:推しの引退から立ち直るための10のステップ”推しの引退の辛さ”乗り越えよう。
長文になります、失礼します。
記事を読んで当時のことを思い出しました。あの頃、ももか推しでトークショーまで行ったのもいい思い出です。ももかも好きだけどももクロというアイドルが好きで、まさか自分がここまでのめり込むなんて…というほど好きだった。
なっつみさんも書かれていたように突然の芸能界引退宣言は衝撃的でしたし、生存確認ができない…!!でも、もしかしたら何か発信があるかもしれない…と思ったのは自分だけではなかったんですね。
有安杏果として再始動され、結婚うんぬんのことが何かの記事ですっぱぬかれたときも、正直なんか応援しきれなかったというか、え!?そこ!?(そのひと!?)だったというか。そう思っちゃうのも嫌なんですけど、なんか自分自身の今までの推し自体を否定するような感覚もあって…。言葉で表現しきれないんですけどそんなモヤモヤがありました。
有安杏果としての初ライブは参加できなかったんですがアルバムを購入して聞いていたり、ソロとしての映像を見ていると、だんだんと違和感の正体がわかってきました。すごく成長していて少女から大人になったというか、まさに応援していなくても大丈夫なんだなと納得したというか。
それと同時に今のももクロとも距離がとれたというか複雑な思いっていうのもなくなりましたね。ももか脱退後は見るのが億劫だったんですが今ではCMを見ても問題なし笑。
ももかのことも適切な距離で見ることができて、最近開催予定のライブに行こうかと迷うほどに吹っ切れることができました。
ほんと推し活動って恋愛みたいだなあと改めて思いました。